大きくする 標準 小さくする

石見神楽(いわみかぐら)

石見神楽(いわみかぐら)は、神楽の様式のひとつ。島根県西部(石見地方)と広島県北西部(安芸地方北部)において伝統芸能として受け継がれている。日本神話などを題材とし、演劇の要素を持つ。地元では「舞(まい)」「どんちっち」(囃子のリズムから)とも呼ばれる。





起源と変化

諸説あるが、石見地方において室町時代後期には既に演じられていたと言われ、田楽系の神楽である大元神楽をルーツとし、出雲流神楽・能・狂言・歌舞伎などが影響を与えて演劇性を増し、現在の石見神楽が形成されたとされる。

その後広島県北西部へと伝わり、各々の地方において独自の変化を遂げている。現在では、広島県北西部での神楽を「芸北神楽」と呼んで区別する場合もある。また戦後、野村砂男によって北九州に伝えられた石見神楽は、北九州地域の気質に合う形に変化した折尾神楽となり、地域の郷土芸能として定着している。

1979年、前述の大元神楽が国指定重要無形民俗文化財に認定されたほか、各県各地多くの神楽が県指定・市町村指定の無形民俗文化財に認定されている。




特徴

七座舞(神楽面なしで舞う、清めや祓いの儀式舞)と神能(神話劇)とが整然と分かれず、演劇性・娯楽性を強めた大衆的な芸能として発展している。一般的な神楽のイメージとは一線を画した『軽快かつ激しい囃子と舞い』が特徴で、盛んな石見地方・広島県北西部では子供から老人にまで幅広く人気がある。
奉納神楽を観る子供(演目:恵比須)
奉納神楽を観る子供(演目:恵比須)

石見神楽はもともと、収穫期に自然・神への感謝をあらわす神事として、神社において夜を徹して奉納されるものだったが、現在はこれに加え、地元ほか各地で行われる祭事や定期上演、競演大会、民間各種イベントへの出演等、石見神楽を観られる機会は年中を通して非常に多くなっている。大会などを除けば、無料で観られる場合が大半である。

子供神楽も盛んであり、石見神楽の伝承に力が注がれている。近年は全国各地での上演機会も増え、外国公演も行われている。




神楽団体

演ずる団体は前記地域だけで100以上に及び、その地方や団体毎で様々な特徴がある。

元来は、各地域で氏子達が奉納のために集まって形成された団体。20世紀後半からは「同好会・保存会」的な団体も増加している。このため、氏子として地元の団体へ弟子入りせず、好みの団体へ加入するケースも増えている。

奉納先からの奉納金、観客からの花代(祝儀)、寄付等を収入として活動している。石見神楽を興行化した団体は存在せず、すべての所属者は他に仕事等を持っている。




奏楽

奏楽は、「大太鼓」「小太鼓」「手打鉦」「笛」の4人で構成される。楽譜はなく、大太鼓の奏者が演目を掌握しながらリードし、他の奏者は大太鼓の流れに合わせて型を奏する。場合により「笛」奏者がリードする役割を持つこともある。阿吽の呼吸が必要となるため、奏者は鍛錬と技術が求められる。

また奏者は演奏しながら、その演目に合わせた短歌形式の神楽歌(舞歌)を唄い、また掛け声などでより雰囲気を盛り上げる。

演目序盤は神楽歌と共にゆったりとした囃子で、物語が進み鬼と神との格闘といったクライマックスになると一気に速いテンポの激しい囃子へと切り替わる。




調子

調子とは、囃子や神楽歌を含む「奏楽の旋律」を総合的に示したものであり、一般的にはテンポの遅速でその違いを感じられる。石見神楽では概ね「六調子」と「八調子」に分かれ、現在は八調子が主流となっている。

明治時代初期より過去は、神主または社人ら神職による優雅で緩やかなテンポ(六調子)の儀式舞が神社等において奉納されていた。明治時代初期に石見地方の国学者たちによる神楽様式の改正があり、演劇風の面神楽を民間人が務めるようになった際(神俗交代)に激しく速いテンポ(八調子)の神楽へと移行していった。尚、石見地方西部に継承される抜月神楽団は六調子とも八調子とも区別できない、独特の調子を持ち、地元では「鮎の瀬遊び」とも言われるものである。一説には室町時代にも遡る形態を持つともいう。




演舞

舞手は豪華絢爛な衣装(舞衣)と神楽面を着用し、武器・扇・幣といった採物を手に持ち、物語に応じた口上も交えながら舞う。演目によっては舞衣や神楽面の早変わりなど、趣向を凝らした演出も用いられる。

面はかつて木彫りの面が存在したが、現在は軽量な和紙の張子面を付ける。しかしいくら軽量とはいえ、石見神楽特有の「勇壮かつ激しい舞い」と、また衣装の重さもあり、全編通して面をつけて舞うのは体力の消耗が激しい。そこで「鬼」「悪者」を退治した後の「喜びの舞」については、神方は面を外して舞う事が許されており、現在は多くの団体でそのように行っている。また安芸地方などでは神方が白化粧をして舞うことも多い。




主な演目

現在は娯楽要素の強い華やかな演目が好まれ、また演じられる事が多い。旧来からの儀式舞・神事的な演目は省略されるなど廃れていく傾向にある。下記以外にも多数の演目があり、各団体により創作された演目も存在する。


塩祓(四方祓い)
現在の石見神楽において、最も基本であり、最も大事にされている儀式舞。かつては「神楽」が奉納神楽の第一演目だったが、現在ではほとんどの団体が省略し、これが第一演目となる。神を招く為に神楽殿を清め祓う意。演者は大抵その団体で一番上手な者が選ばれる。基本的には1人か2人で、神楽面は付けずに演じる。神楽競演の大会でも(基本的に1団体1演目で競う)この塩祓だけは競技としての演目ではなく、あくまで儀式として扱われ、その演ずる団体も特に選ばれた(特別出演とされる)団体だけが舞う事を許される。これは団体にとっては非常に名誉なことであるとされる。


大蛇(おろち)
「石見神楽の華」と称されるほどの花形演目で、多くの神楽上演において最終演目として披露される。日本神話におけるスサノオの八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治を題材とした内容で、数頭の大蛇がスサノオと大格闘を繰り広げる壮大なスケールの舞いが見られる。大蛇が数頭登場するようになったのは戦後以降で、以前は原則一頭のみ登場していた。


岩戸(いわと)
日本神話におけるアマテラスの岩戸隠れの説話を神楽化したもの。岩戸が開かれた後、演者は面を外して「喜びの舞」を舞い、土地の平和・繁栄を祈願する演出が特徴。


恵比須(えびす)
釣り好きの神とされる事代主命が鯛釣りをする様子を神楽化したもの。微笑ましい表情の神楽面と愛くるしい身振り手振りで舞い、また演目の中で撒餌のかわりに餅や菓子などを客席へ投げ込む演出が見られ、特に子供達から人気のある演目。


大江山(おおえやま)
源頼光らによる酒呑童子討伐の説話を神楽化したもの。筋立てや登場人物は地方・団体によって様々だが、源頼光・渡辺綱・坂田金時・酒呑童子・茨木童子は概ね登場する。


鹿島(かしま)
「国受」「国譲り」とも。葦原中国平定を基にした神楽。経津主神は武甕槌神を従え、出雲国を治める大国主命と国譲りの交渉を行い、大国主命とその第一子事代主命は承諾する。しかし第二子の建御名方命は不服を唱え、経津主神に力比べを挑むが降参して国を譲るという内容。石見神楽としては珍しい、神同士が格闘を行う演目。この格闘は、相撲の起源とも言われている。



石見神楽(黒塚)

かっ鼓(かっこ)
切目王子に仕える神禰宜(かんねぎ)が、熊野大社の祭礼御神楽に備え、高天原から降りた熊野の宝物「羯鼓(かっこ)太鼓」をよく鳴る場所へ工夫して据えようと舞う神楽。切目の神が気に入る所へなかなか据えられず、何度も据え替える様がコミカルに演じられる。


切目(きりめ)
切目の王子と介添が登場し、神と陰陽五行説について問答し羯鼓を打ち鳴らし、天下泰平・国家安泰を祈るという内容。演目「かっ鼓」と連の舞いを形成する。熊野から出向いた御師・先達・比丘尼などが一種の芸能として石見地方に残したものを神楽化した演目である。



貴船(きふね)
能の演目「鉄輪(かなわ)」を基にした舞。夫に捨てられた妻が貴船明神の御神託によって鬼女に変貌、夫を呪い殺そうとする。夫は陰陽師・安倍晴明から身代わりの藁人形を授かり難を逃れ、鬼女は退散するという内容。


黒塚(くろづか)
「悪狐伝」とも。玉藻前の伝承と、謡曲「安達ヶ原」(能の「黒塚」)とを組み合わせた演目。祐慶法師と剛力は諸国行脚の途上、那須野ヶ原で金毛九尾の悪狐と対峙、剛力は食われ法師は逃げ去る。この悪狐を、弓取りの三浦介・上総介が退治するという内容。祐慶と剛力のユーモアある会話や、演者が客席にも乱入して戦うなど、娯楽要素も盛り込まれ人気演目となっている。


五神(ごじん)
「五行」「五郎王子」とも。春夏秋冬を統治する兄四神に対し、第五子の埴安大王が所領分配を要求するも拒絶され、合戦に及ぶ。そこに式部の老人が現れ、春夏秋冬に各々土用を設け、また領地を東西南北と中央に分け、これを埴安大王に分け与えるよう仲裁し、落着するという内容。陰陽五行思想の哲理も取り入れた神楽で、夜神楽奉納では最終演目として舞われる。


鍾馗(しょうき)
唐の玄宗皇帝を病に苦しめる疫神を、鍾馗が退治するという物語。鐘馗はスサノオが唐に渡り改名した姿との説もある。力強く重厚感のある舞であり、また鍾馗が退治に使う茅の輪は、夏の無病息災を願う神社縁起「茅の輪くぐり」のルーツと言われる。




石見神楽(塵輪)

塵輪(じんりん)
「人皇」とも。第14代天皇、仲哀天皇の塵輪征伐を神楽化したもの。石見神楽の代表的な鬼舞であり、二神二鬼または二神一鬼にて激闘を繰り広げる。仲哀天皇実在の真偽は定かでないが、仲哀天皇が治めたとされるのは西日本地域で、かつ演目の中で塵輪を「黒雲に乗って飛び来たり・・」と表現する節があり、「塵輪は台風である」との見方がある。また神楽には珍しく、この鬼は女の鬼だといわれている。


道がえし(ちがえし)
「鬼返し」とも。武甕槌神が、人を喰らい万国を荒らす大悪鬼を退治するという内容。他演目で現れる鬼はほぼ全て討ち取られる結末だが、本演目では「人を喰らわず、九州高千穂の稲を食すように」と武甕槌神が諭し、鬼は降参して高千穂で農業に従事する筋立てとなっている。


天神(てんじん)
藤原時平の讒言により大宰府に左遷された菅原道真が死後天神となって時平を成敗するという内容。石見神楽の中でも特に激しい舞として知られ、衣装の早変わりも特徴である。


八幡(はちまん)
宇佐神宮の八幡神とされる八幡麻呂が、人々に害をなす第六天の悪魔王を退治するという内容。シンプルな構成の鬼舞であり、子供神楽で演じられる事も多い。


八十神(やそがみ)
「大国」とも。古事記における「大国主の神話」の部分を神楽化したもの。大国主命の兄弟である八十神たちは八上姫命を我がものにしようと、恋敵の大国主命を様々な謀で殺そうとするが、大国主命はこれを撃退するという内容。なお古事記では撃退できず、一旦殺されてしまう。


日本武尊(やまとたけるのみこと)
古事記における日本武尊の東征を神楽化したもの。賊首の野火攻めに遭った日本武尊が、大和姫より授けられた天叢雲剣で草を薙ぎ払い賊を退治し、宝剣を「草薙の剣(くさなぎのつるぎ)」と称するまでの内容。賊首が平易な地元の方言で日本武尊打倒の策を練るなど、ユーモアも取り入れて演じられる場合も多い。


頼政(よりまさ)
平家物語における、源頼政による鵺退治の説話を神楽化したもの。石見神楽の中でも最も娯楽性の高い演目の一つとされ、小猿役が観客席を走り回るなどの楽しい演出も見られる。



神楽(かぐら)

神迎(かんむかえ)

四剣(しけん)

神祇太鼓(じんぎだいこ)

天蓋(てんがい)

真榊(まさかき)

十羅(じゅうら)

神武(じんむ)

鈴鹿山(すずがやま)

八衢(やちまた)





主な神楽団体

島根県

* 浜田市
o 有福神楽保持者会
o 後野神楽社中
o 大尾谷神楽社中
o 石見神代神楽上府社中
o 石見神楽亀山社中
o 佐野神楽社中
o 周布青少年保存会
o 長澤社中
o 長浜社中
o 西村神楽社中
o 日脚神代神楽社中
o 細谷社中
o 美川西神楽保存会
o 安城神楽社中
o 今市神楽社中
o 今福神楽社中
o 杵束神楽社中
o 久佐東神楽社中
o 重富神楽社中
o 松原神楽社中
o 井野神楽
o 岡崎神楽社中
o 岡見神遊座
o 河内奏楽中
o 両谷神楽社中


* 益田市
o 石見神楽上吉田保存会
o 石見神楽久々茂保存会
o 石見神楽保存会久城社中
o 石見神楽須子社中
o 高津神楽社中
o 多田神楽保存会
o 種神楽保存会
o 津田神楽社中
o 真砂神楽保存会
o 丸茂神楽社中
o 三谷神楽社中
o 道川神楽社中
o 横田神楽社中


* 江津市
o 有福温泉神楽団
o 大元神楽市山神友会
o 川平神楽社中
o 大都神楽団
o 谷住郷神楽社中
o 都治神楽社中
o 波子社中
o 倭川戸神楽社中


* 大田市
o 大屋神楽社中

* 吉賀町
o 抜月神楽団





広島県

* 安芸高田市
o 梶矢神楽団
o 上河内神楽団
o 佐々部神楽団
o 原田神楽団
o 東山神楽団
o 山根神楽団
o 横田神楽団


* 北広島町
o 有田神楽団
o 琴庄神楽団
o 中川戸神楽団


* 三次市
o 伊賀和志神楽団

[関連キーワードリンク]